SSブログ

ネタjob

芸能人、社会、ネット、テレビなどで話題のネタを集めています。

 

カテゴリー:社会

黒田東彦 出身 学歴 経歴 [社会]

黒田東彦氏の学歴と経歴をまとめました日銀の次期総裁の候補として有力な黒田東彦氏。政府の方針も決まったようで、3月19日に退任する白川総裁の後任は黒田東彦氏になりそうです。



kurodaharuhiko.jpg

黒田東彦

福岡県大牟田市出身
1944年10月25日生まれ





黒田東彦 学歴

1963年3月・東京教育大学附属駒場高等学校(現 筑波大学附属駒場高等学校)
1967年3月・東京大学法学部卒業
1971年9月・オックスフォード大学経済学研究科修士課程修了



東大に

6490819959_f9cf275f14_z.jpg

オックスフォード大学と、まさにエリートな学歴...

2906711497_2991da9496_z.jpg




黒田東彦 経歴

1967年4月・大蔵省入省(大臣官房文書課配属)
1974年7月・国際金融局国際機構課課長補佐
1975年6月・派遣職員(国際通貨基金)
1978年7月・主税局調査課長補佐
1980年7月・主税局税制第二課課長補佐
1981年7月・大臣官房企画官兼主税局総務課
1984年7月・三重県総務部長
1986年6月・官房参事官
1987年7月・国際金融局国際機構課長
1988年12月・村山達雄大蔵大臣秘書官
1990年1月・主税局税制第一課長
1991年6月・主税局総務課長
1992年7月・大臣官房参事官(副財務官)
1994年7月・大臣官房審議官(国際金融局担当)
1995年6月・国際金融局次長
1996年7月・財政金融研究所長
1997年7月・国際金融局長
1999年7月・財務官
2003年3月・内閣官房参与
2005年2月・アジア開発銀行総裁



インフレ目標の設定や大胆な金融緩和制作の必要性を以前から主張して、安倍総理大臣の考え方に近いこと

また、安倍総理就任以降、急速な円安が進み世界各国から批判の声がでていることを踏まえ、
国際金融の舞台で発言力のある人物が必要になったことが、選任の背景にあると見られています。



黒田氏の発言は

・デフレの要因は多々あるものの、物価の安定は中央銀行の責任にある。
・リーマンショック以降世界でデフレを引き起こしているのは日本だけ。
・15年間デフレが続いている状況は異常である。
・デフレは日銀の責任が大きい。


個人的には白川総裁は、出来ることがあるのに「やらない」、
職場にもいそうなダメな上司。金融業界だけ見ているような視野の狭いお方、という印象がありました。
歯がゆかったですよね、いままで。


リーマンショック、大震災、ユーロ債務危機など、困難な局面が続いたのも事実ですが、
何年待っても何もしない日銀というのを作り上げてしまったのも事実だと思います。



「日銀の責任は大きい」

黒田氏の発言に少し、期待したいところです。







nice!(0)  コメント(0) 

菅官房長官 経歴 出身 大学 [社会]

菅官房長官 経歴 出身 大学

o0370051112349453143.png

菅官房長官 経歴 出身 大学についてです。安倍政権で「安定剤」と呼ばれる菅官房長官。最近、国民の評価も上がってきている感じですが、経歴、出身、大学、そもそも名前は?読み方は?という人も多いようなのでまとめておきます。

 

【プロフィール】

名前:菅 義偉(すが・よしひで)

生まれ:1948年

出身:秋田県

学歴:法政大学法学部卒業(1973年)

選挙区:神奈川2区

1975年、衆議院議員小此木彦三朗秘書

1984年、通産大臣秘書官

1987年、横浜市会議員

1996年、衆議院議員初当選

1997年、自民党横浜市支部連合会会長

2001年、自民党副幹事長

2002年、国土交通大臣政務官

2003年、経済産業大臣政務官

2004年、国会対策委員会副委員長

2005年、総務副大臣

2006年、総務大臣、郵政民営化担当

2006年、内閣府特命担当大臣

2007年、自民党神奈川県支部連合会会長

2007年、自民党選挙対策総局長

2007年、自民党選挙対策副委員長

2010年、衆議院議員運営委員会筆頭理事

公式ホームページ はこちら

 

アルジェリアでの人質事件により、報道の場で存在感を国民に焼き付けた菅氏。

「カン」じゃなくて「スガ」というところが、ポイント。笑

 

控えめな存在ですが、安倍総理大臣をうまく立てて、政府としての発信をうまくコントロールしているところが注目されいます。

週刊文集では菅官房長官によるメディア手法をこのように書いています。

重大な情報はまず安倍晋三首相がテレビカメラの前で説明する機会をつくり、その後に詳報を説明する手法を多用した


 

どうしても、震災の時の民主党政権と比較してしまいます。今回は現場が海外ということもあり、情報が少なく、混乱していましたが、政府の対応を非難するような声は少ないですね。

 

経歴を見ると、あまり表にでるようなポストではなく、何をしているのかよくわからない系の仕事をしてきていますね。

 

ネット上では、陰気だとかいつも不機嫌そうという声も聞かれます。

個人的には、いずれにせよ世渡りがうまい人なんだろうなという印象です。

 

人間性で、いちいち揉めている政治を見るのは好ましくないので、さっさとやる事やってくれれば、誰でもいいんですが。

今は、一応このしたたかな菅官房長官に期待をしておきます。


nice!(0)  コメント(0) 

桜宮高校 バスケ部 小村 評判 [社会]

桜宮高校 小村 評判について詳細です。桜宮高校バスケ部の顧問として、同部活のキャプテン(高2男子)を体罰によって、自殺に追い込んだ小村基(47)。教師としてどんな評判を持っていたのか、調べました。

まとめると、この3つにおさまると思います。

1、いわゆる熱血系

2、先生のしてきたことは間違っていなかった

3、誰も文句がいえない

 

1、いわゆる熱血系

大阪の高校バスケ界では、強豪として知られている桜宮高校。この強豪となるまでの道を切り開いてきたの小村でした。かなり練習は厳しかったと言われています。日本体育大学、体育学科を卒業し、根っからのスポーツ気質。47歳という年齢からして、価値観に今の若い世代とはかなりのギャップがあってもおかしくないです。ただ、大学を卒業するのに8年かかっているようです。そのあたりどうなんでしょう?なにか事情があったのかも知れませんが、気になる点ですよね。

2、先生のしてきたことは間違っていなかった

事件後、同校のバスケ部OBから、「小村先生のやってきたことは間違っていなかった」と擁護する意見も出ています。確かにバスケ部を常勝チームに育て上げたという実績という点で、彼の指導方法が評価されているのも事実です。

また、苦しい練習と勝利の喜びをわかちあった者同士として、彼に理解を示す人もいると思われます。しかし、今回は「指導」ではなく「体罰」となってしまった。「指導」と「体罰」の違いは、それこそ世代間でのギャップが大きいと思います。

その境目を議論する場合、どちらが正しいということにはならないでしょう。おそらく、小村と同世代あるいはそれ以上の方では「自分だって先生や先輩に殴られて成長してきた」「昔はこんなことで負けてどうするんだとなった」「歯をくいしばって頑張らなきゃダメだ」という意見を持っていたりすると思います。「昔は」「自分の若い時は」今の若者はこういう言葉を嫌います。嫌うというか理解ができないです。

ただ、同じ人間ですから成長していく上で必要な要素はみな同じようなことのはずです。しかし、その必要な要素の中に普遍的な物事を見いだすとしたら、それは暴力である意味はないということです。昔の人は暴力で成長したんですか?

3、誰も文句がいえない

桜宮高校のバスケ部は強豪である以上に同校内では「別格」な部活として認識されていたようです。となると1人の指導でチームを築き上げてきた小村に対し、口を出すことができない雰囲気だったと言われています。

このことも事件に大きく影響していると思われます。きっと周りからみても少し異常だったんじゃないでしょうか?男子生徒の体には痣があったといいます。その状況で周りが気づかないわけがないですよね?

そう出なければ、「誰も口出しできなかった」という言葉が出てくる必要もないですから。これは学校側の風通しというか、生徒と教師、親と教師、教師とその上司、どの間においてもコミュニケーションがとれていなかったという他ないのではないでしょうか?

昨今では大津市での出来事が記憶に新しいです。またしても教育の現場に疑問を投げかける出来事がおこってしまいました。この出来事をきちんと受け止めて、現場に生かしていく、毎回このような事が起きる度に言われることですが、いつになったら実現するのでしょうか。


nice!(0)  コメント(0) 

桜宮高校 バスケ部 事件 体罰 小村基 画像 名前 [社会]

桜宮高校 バスケ部 事件 体罰 小村基 画像 名前

大阪市、桜宮高校のバスケ部で高2の男子学生が顧問からの体罰に苦しみ、自殺してしまった事件。

その顧問の名前、画像が出回っていますね。

FaceBookページは閲覧不可になっています。

名前:小村基

年齢:47歳

出身地:東京都世田谷区

学歴:日本体育大学、1988年卒

画像はこちら

桜宮高校のバスケ部が常勝高として名の通っている名門校でしたが、

平成6年4月に赴任した、この小村という教師が育てあげたと言われています。

この成果が手伝ってか、体罰を与えていた事実があるにも関わらず、

卒業生からは「先生がやってきたことは間違っていない」

と擁護するようなコメントも出ているという。

では、自殺した生徒に問題があったのだろうか?

いや、それは違う。

厳しい訓練あってこその部活だが

教師は生徒に併せた指導が求められるはずだ。

ソフトボール部も強豪校のだったが、

バスケ部は特別な存在として認識されていたという。

思うに、かなり教師の頭の中は

自信過剰になっていて、「やり過ぎ」に気づけず

止める人も「特別な」部活に口出しができなかったのだろう。

母親は棺に入った生徒をその小村に見せ

こう尋ねたという。

母「先生、これは体罰ですか?それとも指導ですか?」

小村「体罰です、すみません」

言葉に詰まった方が、まだ良かったんじゃないだろうか?


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。